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「日本史に登場する人で一番好きな人は?」と聞かれたら、「小当女(または古麻佐亮。いずれもコマサメと読む)という女性を挙げることにためらいはない。

この人は奈良時代の但馬国(今の兵庫県北部)の住民で、17歳で奴隷として平城京に送られたのだけど、奈良の法華寺の現場で下総(千葉)出身の稲主亮という女性と親しくなり、2人で逃亡して一月後に下総にたどり着くという偉業を成し遂げたのである。

残念ながらこの人たちは下総で捕まり、その後どうなったかは記録がないのでわからないのだが、やったことのスケールといい動機といいシスターフッドといい、日本史でこれほどエモい人を僕は知らない。天下統一とか主君の仇討とか、そんなくだらない「偉業」をすべて吹っ飛ばすパワーがここにはある。

#日本史
#偉人
#日本史で好きな人

【明治維新とは - 福澤諭吉『文明論之概略』より】

《…身に才德なくして家に巨萬の財を貯へ官に在ては高官を占め民間に在ては富有の名望を得たる人物が國のために義を唱て財を失ひ身を殺したる者は古來の例に甚だ稀なれば此度の改革に就ても斯る人物は士族の内にも平民の内にも極めて少き筈なり唯此改革を好む者は藩中にて門閥なき者か又は門閥あるも常に志を得ずして不平を抱く者歟〔か〕又は無位無祿にして民間に雜居する貧書生歟何れも皆事にさへ遇へば所得有て所損なき身分の者より外ならず概して之を云へば改革の亂を好む者は智力ありて錢なき人なり古今の歷史を見てこれを知る可し,されば此度の改革を企たる者は士族の黨五百萬人の内僅に十分の一にも足らず婦人小兒を除き何程の人數もなかる可し》

⚓ 勝海舟は船に弱かった? 最近よんだ福沢諭吉の『福翁自傳』には,万延元(1860)年に軍艦奉行の木村摂津守のもと,勝海舟らと軍艦咸臨丸にて渡米した歴史的航海の経験が語られていますが,それによると,

《勝麟太郞と云ふ人は艦長木村の次に居て指揮官であるが,至極船に弱い人で,航海中は病人同樣,自分の部屋の外に出ることは出來なかつた…》

岩波文庫『海舟座談』にある木村芥舟すなわち摂津守の回想をみると,海舟は予てより幕府の処遇を不満とする癇癪持ちであり,航海中のひきこもりは《福澤の傳にある樣に,たゞ舟によつたと云ふのではない》と海舟の名誉を慮るような発言をしていますが,一方,杉享二というひとの回想では,安政6(1859)年正月に長崎から浦賀へ戻ってきた海舟の言として,

《おれが船に弱いのに,土州沖で暴風雨に逢つたから,躰を檣〔ほばしら〕にふんじばつて,やつて來たよ…》

勝海舟は長崎の海軍伝習所に学び,幕府海軍の建設を手がけた人物とされていますが,果たしてこれでお役が務まったのか…現代の伝記研究ではどう評価されているのでしょう? 素朴な疑問です。